Foscarini — Vite
Translations
数分歩いてオリヤの家の前で止まってみる。そして彼女のパブリックな家庭の
ショーの観客となる。そこであなたは「genti allena」になるけれど、あなた
の視線はまるで招待状を受け取っているかのように歓迎されるだろう。
JP pp.389
化粧っ気のない素晴らしい北の街
チボリは、コペンハーゲンの中心にある世界で二番目に古い遊園地だ。そこ
は、子供連れでなくても美しい乗り物を楽しんだり、シューティングゲームや
チャイニーズシアターあるいはアイススケートを楽しんだりすることができ
る。何歳でも遊ぶのは楽しいものだから。
ティナはチボリから歩いてすぐのところに住んでいて、彼女のアパートはまる
で彼女のように、生命力、アイディア、そしてエネルギーにあふれている。彼女
は、ファッションとインテリアの雑誌の仕事をしていて、彼女の出身地にある
海辺の家を持ち、コペンハーゲンにアパートも借りている。「このアパートに
関して私はラッキーだった」と彼女は言った。「写真で見るとかなり暗く見え
るのだけど、一歩入ってすぐにここは完璧だと分かった」そこはとても広くて
雑然としていて、美は配列よりも重要だということを知っている人の家だ。テ
ィナの家にはセラミックタイルが施された古い暖炉、大きな窓、グリルがある
小さなテラス、そして子供達が数日間泊まったり何か月か過ごせるための部
屋がある。「6年前に引っ越してきたとき、私はちょうど離婚をしたころだっ
た。私はコペンハーゲンに来るべきタイミングだと思った。職場に近い家が
必要だったし、庭かテラスも欲しかった。もちろん、街の中心で良い景色があ
る家を見つけられるなんて思っていなかった」私たちはテラスに上がってみ
た。霧雨が降り、じめじめして寒い。北欧の街の平日。凍えるように寒く化粧
っ気もない。リビングルームに戻るとティナは彼女が手掛けている雑誌を何
冊かみせてくれた。私は、デンマークではデザインが他の国よりも重視されて
いると思うかと彼女に聞いてみた。「それは年齢によると思う。もし、70代の
デザインを愛する人であれば、その人の家はまるで美術館のように見えるかも
しれない。若い人たちは、古くて高価な物を少し買ったり、気に入った安いも
のをたくさん取り入れるなどミックスするのが好きね。今はストーリーがある
ものを探す人が多いと思う。一番高いものでも10ユーロ程度の古い中古品を
売っているところに行ってみたの。きっと誰もいないだろうと思っていたのだ
けど、たくさんの人が列を作って並んでいたわ。私は古いパズルを選んだ。全
部のピースがそろっているかも分からなかったけど、私の前にいろんな人がこ
のパズルをしたということに惹かれたの。おそらく、今はバーチャルの世界で
過ごすことが多くなったけれど、結局は物にも過去の人生があるという感覚
が欲しいのかもしれない。私たちの年になると、孤独が大きな問題になってく
る。マーガレット王女が新年のスピーチでこのことについて話されている。私
たちの時代は、これまで以上に孤独になるリスクがあるということを知ってお
かなければならない、と。彼女は2年前に夫を亡くしていたし、彼女が年老い
て愛する人たちが亡くなっていくという孤独感、そして女王としての孤独を感
じておられることが伝わって、とても感動的なスピーチだった」
ティナは、展示会やオープニングセレモニー、ファッションショーなどに出か
ける。「疲れていて話すのもおっくうな時にでも一緒にいたいような友達は、
人生において少ないと思う。家族もいなくて、店の隅のカフェでいつも同じ人
にしか会わないような小さな町では孤独を感じる。でも、いつも動き回ってい
る大都市でも同じように孤独を感じることもある」ティナの息子の一人は、デ
ンマークで人気上昇中のサッカー選手だった。ナショナルユースチームにも入
っていた。でも、皆が驚いたことにサッカーをやめてしまった。なぜだろう?も
しかして彼は、何週間も点を決められないストライカーを襲う孤独と不安を
理解したのかもしれない。マネージャーやチームメイト、そしてファンが彼は
もう終わったのかもしれないと考えているという不安。あるいはずっと自分を
だましていたのかもしれない。
おそらくティナの息子は、16歳にして賢人なのかもしれない。それに、人生に
は何が用意されているか誰にも分からない。満員のスタジアムや巨大な宮殿。
たぶん、結局のところ一番の楽しみは、チボリで誰にも気づかれずに数時間
過ごすことができることかもしれない。
JP pp.417
再び前進できるようになれたと感じる必要性
アントネロとジェンナリーナのアパートへは、到達し達成する必要がある。彼
らはこのアパートを探すのに何か月も費やした。そして訪問客は狭い階段を3
階まで登らなければならない。たどり着いた家にはたっぷりのスペースと光と
影がある。オーナーが全面改装した古いアパートには、たくさんの歴史を残し
た家具、梁や床をそのまま活かしつつ、彼らの好みで新しいものも取り入れた
家。「この家は私たちを変えたの」とジェンナリーナは言った。「私たちは、す
ぐにこの家が気に入ったわ。なぜなから全体像が見えないから。どのようにな
るのかが想像するのが難しかったけれど、その時点で少し想像できる気もし
た」この家族のストーリーは動の物語だ。子供達は北イタリアのコモ湖で生ま
れ、そしてある時ナポリに戻ってきた。
「多くの人が感じる故郷に帰りたいという気持ちは持ったことはなかった」と
アントネロは言った。「でも新しい旅に出ることは好きだ。この家で安定を達
成したとは思っていないよ。誰かに一生の家を築いたねと言われれば、違うと
答える。そんなことはあり得ない!僕たちは移動し続けたいと思っている。冒
険をし続けたいという願望がある」このアパートを見つける前に、1700年代
に建てられた近くの家を借りていた。とても部屋が広く家賃は安い。でも光が
なかった。そこで家探しが始まった。何か月もかけて、家賃を払って家から家
へと移り住み、購入するのにぴったりの家が見つかるのを待ち、そしてついに
出発点のすぐ近くにその家を見つけた。その家は大聖堂が一望でき、しかも海
も少し見える。そして窓からはジロラミーニ教会がすぐ向かいに見える。「家
探しの最初の6、7か月は都会の遊牧生活だった。改装にも時間がかかった
し、複雑で少し怖気づいた。でもそれが僕たちを強くした。その広さと光のお
かげで。僕たちはその光に支えられ、今でもエネルギーをもらっている」いつ
も同時にしゃべる家族、娘はマドリードに留学中で、息子は俳優になる勉強を
していて、すでにキャリアをスタートさせている。二人の熱心な両親。子供の
ことを話す時にはこちらも楽しくなる。「家とは。家のコンセプトは常に進行
中であるべきだ。家具を変えたり、物を移動させたりして違った雰囲気を出
し、進化を続けるべきだと思う」とアントネロは言った。そしてジェンナリーナ
はうなずいて同意する。「私は、ものがいっぱいでないスペースで暮らすよう
にしている。必要なものに忠実に、物を詰め込まなくちゃという衝動に駆られ
ることなく」家は考える場所だと二人は言う。二人ともアートの世界で働いて
いる。「窓の外のジロラミーニ教会を見ると、そこで本を読み漁り学んだ人た
ちのことを考える。そこは、世界で最も重要な歴史的図書館がある場所で、3
つの教会が併設され、オレンジの木がある屋根付きの散歩廊下、そして絵画
館がある」彼らが買った家は終の棲家ではないかもしれない。でも、とても気
に入っているようだ。「特に午後、そしてもちろん夏には目を覆いたくなるくら
いたくさんの光が入る。そういう時は涼しくて暗い場所で過ごすのが素敵だ。
求めている光がそこにあるという確信があって、そして自分から光を遮断する
ことを選択している時には。シャッターを開ければまた光があふれる」そして
いつかまた、旅の再開を待っている間は。
JP pp.441
たぶん、大学時代のポスターのせいだ
子供の頃、ハリウッドから遠く離れた田舎町では、誰もがピストルを持って酒
場から出てジョン・ウェインのような恰好で決闘をすることを夢見たり、カリ
フ ォルニアの道路で無法者みたいにバイクを乗り回したり、あるいはイギリス
のスパイになって世界中のカジノを放浪することを夢見ていた。誰もが子供の
頃は映画のような世界を夢見ていたが、その町に住む誰も実際に俳優になろ
うなんて思わなかった。その頃のイタリア南部の若者は、誰も勇気がなくて挑
戦できない夢があった。実際に俳優になるなんて不可能なことのように思え
たし、それを職業として選ぶことも無理だと思った。一方ヤコポはそれを成し
遂げた。彼は、幸運なことに子供時代の数年を家族と共にサンフランシスコ
で過ごし、そのおかげでバイリンガルに育った。でも人生は違う方向に彼を導
き、ヨーロッパで出版や文芸評論の仕事につくことになった。「今になって思
い出すと奇妙だけど、パリに留学していた時の僕の部屋にフラットアイアンビ
ルディングのポスターがあったんだ。僕が卒業した時、ピカドールでのインタ
ーンシップのオファーを受けたのだけど、そのオフィスがフラットアイアンに
あったんだ」この若いイタリア人でありアメリカ人でもある若者が、ニューヨー
クを制覇しようと決めて、アメリカで最も有名な出版社の一つで素晴らしいイ
ンターンとして正面玄関から入った。マンハッタンの中心に位置する世界で最
も有名な建物で。インターンシップが終了すると、そのまま残ってもらいたい
と依頼を受けた。しかし人生のストーリーではそんなにスムースに物事は進ま
ない。イタリアあるいは北アメリカ、どこにいようとも。「金融危機が起きて、
僕を含むたくさんの人が失業した。突然僕はマンハッタンで失業者になった。
厳しい状況だったけれど、本当に情熱を感じること、つまり演じることに戻れ
る時間があると自分自身に言い聞かせた。そしてオーディションに通い、僕は
有名な学校に合格し、演技を始めた」ヤコポは最近、ハーレムの小学校の正
面に建つモダンで清潔でエレガントなアパートを購入した。唯一聞こえるのは
子供達が遊ぶ声だ。ニューヨークは常に変化しそして驚かされる。1990年
代に僕が子供だった頃、この通りはどんなだったか誰が想像できるだろう?お
そらくもっと混沌とした都会のジャングルだったはずだ。いまでは、比較的落
ち着いた住宅地になっている。
「何年もの間、僕はたくさんの地域に住んできた。人生における他の要素につ
いては、ローラーコースターのようだった。アップダウンがあってまるでたくさ
んの人生を生きているかのようだった。出版社に勤めたあと、ブルックリンと
イーストビレッジでウェイターとして働いた。10年前にまだそんなにオシャレ
な場所ではなかった頃にブルックリンに住んでいた。その時は2人ルームメイ
トがいた。そのあとソーホーで5人の同居人と暮らした。そのあとはイーストビ
レッジに引っ越して、そのあとアッパーウェストサイドに引っ越した。ある時に
は住む場所がなかったので、実家に戻ったこともある。それは変な感じがした
し、大変だったけどたぶん必要なことだったんだ。ある晩には働いていたレス
トランでバラク・オバマに給仕をしたこともある。今はここで満足している。や
っと自分の場所が持てていることは仕事にも良いことだし、まるで初めてバラ
ンスを見つけたような気分だ」もし、ある日ロサンゼルスから電話が来なけれ
ば。それは全ての俳優に起こりうる素晴らしいリスクだ。「誰にも分からない
よね?もしかしたらある時にはあちこちで暮らさなくちゃならなくなるかもし
れない。でもカルフォルニアは自分には合わないと思う。例えばつねに車で移
動しなくちゃならないのは好きじゃない。でも最終的には仕事がある場所に行
くしかないのだと思う。ある意味あの大学時代のポスターのせいで、僕がキャ
リアを追い求めてどこへいこうとも、僕はいつもニューヨーカーのままなのか
もしれない」
JP pp.479
映画のようなラブストーリー
一目惚れは存在する。それは映画でも描かれているし、人生でも実際に起こ
る。いつでも起こるものではないけれど、場合によっては起こりうる。アンテ
ィアは、14歳の時に彼女のパートナーに一目惚れをした。そして数か月後に
彼らは離れ離れになり、21歳の時、香港のMTRで再会した。でも、その時は
二人ともパートナーがいた。25年後まで話を進める。二人は彼が経営する上
海のバーでまた偶然出会ったけれど、今度も二人とも婚約者がいた。しかし愛
は全てを征服する。映画の中の物語のように。アンティアは何年もの間失っ
ていた愛する人と一緒になるために上海へ引っ越した。「少しずつ、この街に
も恋に落ちていった」と彼女は言った。「気に入った家を探すのに一年かか っ
たけれど、最終的には見つけたわ。全てが素早く変化し、毎月常にあわただし
く未来に向かって動き続けているこの国では珍しい、歴史ある場所に暮らし
ているの」アンティアが住む建物は、ビクター・サッスーンによって建てられた
もので、彼は驚くべきストーリーを持つ。彼は、イラク系ユダヤ人でナポリに生
まれ、ナッソーで亡くなっている。ボンベイの第三代準男爵である彼は、第一
次世界大戦で負傷したが、卓越したビジネスマンとなり、ピースホテルなど19
世紀半ばの上海における素晴らしいビルの建設に携わった。「サー・ビクタ
ー・サッスーンは、トラベラーであり写真家であり、そして慈善家だった。彼
は、上海にいたたくさんのユダヤ人を迫害から救ったの。彼は世界を股にかけ
て活躍した人だった。私もここにいると世界の中心にいるような気分になる。
家の窓から外を眺めると、東方明珠塔、旧郵便局そして川にかかる橋が見え
る。上海では、アールデコ調の建物や海外様式の建築物があるからヨーロッ
パにいるような雰囲気が少しある。でも、とてもたくさんの新しいビルも立ち
並んでいるから、完全に歴史的というわけでもない」
アンティアのパートナーのバーは、街で最も古いバーの一つで24年間営業し
ている。「バーの常連には世界中の人たちがいるよ。家が狭い香港と比べる
と、僕のアパートはとても広い。そして東に面しているから毎朝日の出を見る
ことが出来るのだけど、毎回色が違うんだ」アンティアのストーリーは、初 め
は愛のために引っ越したのだけれどその後この街にも恋をしたというものだ。
「私は、以前BBCに務めていたの。もちろん情報やニュースサイクルに浸るこ
とができる世界で働くことに未練がある。退職するということは大きな変化だ
った。でも、ここでは中国のエネルギーと変化の様子を活き活きと感じること
ができる。上海は毎日変化している。そしてとてもたくさんの新しいプロジェ
クトがあり歴史的な建物が復元されている。若い世代にとって教育と旅行が
主な関心で、彼らは世界中に留学している。将来的にはもっと多くのヨーロッ
パ人が上海を訪れるここに滞在するのではないかと思う」全ての人がラブス
トーリーによって動かされるわけではないし、このような物語は珍しい。で
も、彼らはこの街がだんだん大好きになるだろう。古い歴史を持ちながら、急
速に未来へ向かって進んでいるこの街を。
Texts by Flavio Soriga
Japanese
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