Foscarini — Vite
Translations
なトスカーナの夜明けの色、そしてインディゴはミッドナイト・ブルーだ」
フレデリックのアパートは古い醸造所の隣にあって、レストランや公園、工芸
品の店やモダンビンテージのディーラーなどが立ち並ぶエリアだ。世界が母
国である彼はどんな仕事をしているのだろう?私は聞いてみた。「以前は広告
代理店に何社か務めていたけど、今は蒸留酒を作っている。デンマークのアク
バビットという酒だ。これは一般的な商品で、500年も前から作られている北
欧で最古の酒だ。問題は、今ではその酒には悪いイメージがあるということ
だ。人々はこの酒に対して年寄りの酒飲みとか、ひいおじいさんとか、古臭い
人というイメージを持っている。僕が挑戦しているのは、若い人たちにこの酒
を我々の歴史の一部として再発見してもらい、それが純正の、素晴らしい、自
然な商品であること分かってもらうことだ」彼は私に名刺を渡した。盾に描か
れた大きな角を持った鹿、デンマークの国旗、王冠、そして自然が施されたと
てもおしゃれなロゴだ。それは、果てしない田舎での午後、あるいは外で冷た
い風が吹き雪が舞っている夜に、ロッジの暖炉の前で過ごす情景を思い起こ
させる。番犬が暖まるために丸まっている。そしてグラスを片手にゆっくりと
一口飲む。このような酒の生産者がどのようにして未来をイメージできるのだ
ろう?「この古い建物が好きなんだ。眺めも素晴らしいし、近くにカフェやレ
ストランがたくさんあるのが気に入っている。自分の生活の周りにあるものを
常に楽しんできた。コペンハーゲンではいい暮らしを送ることができるし、何
より夏になると街が完全に様変わりするんだ。でも、海の近くでビーチでの暮
らしに少し戻りたいという気持ちもある。たぶん、近いうちにまた旅に出ると
思う。世界にはまだたくさん見るべきものが待っているから」
JP pp.275
完璧な 「BUEN RETIRO」 を見つけるには?
世界中の何百万人という人がニューヨークで暮らすことを夢見るのと同様に、
多くのニューヨーカーたちは時々街を離れて過ごせる郊外の家を持つことを
夢見ている。ブライアンとデイヴィッドは車で2時間程の小さな地域をそこに
選んだ。そこは、ウッドストックという実際にはその場所で行われなかったイ
ベントによって驚くほど有名になった。「地名を言うと、みんなすぐにジミー・
ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンを連想する」とブライアンは言った。
「コンサート会場は結局近くの農園に移動されたんだけどね。興味深いのは、
そもそもウッドストックが会場に選ばれたのは、既にそこが昔からアーティス
トのコロニーだったからなんだ」ブライアンは、5番街にオフィスを構える精
神分析医だ。「学生の頃から、大きな街に住みたいという願望があった。私
は、ミルウォーキー近郊の大学の街にある湖に面した石造りの家で育ったん
だ。両親は私たちを時々シカゴに連れて行ってくれて、そこではホテルに泊ま
り、劇場へ行ったり買い物に行ったりしたよ。その街のエネルギーを感じるこ
とができたし、そのエネルギーに決して飽きることはないと思っていた。大学
を卒業後、マドリードで暮らした。そこでは、またそのエネルギーを見つける
ことが出来た。そしてまたアメリカへ帰ってきた時、私はすぐに自分が居るべ
き場所はニューヨークだと思った。何年もの間、私はボランティアとして
LGBTの人々が差別を受けないようサポートをする組織で働いていた。電話
で精神的なサポートをしたりね。そして自分がプロの精神科医になりたいと
気づいた。ニューヨークで何年か過ごした今でもまだそのエネルギーを感じ
ることができるし、私のパートナーも私も平日はエネルギーチャージをするこ
とが好きだ。でも、バランスをとることが出来たら最高だ。田舎へ行って猫と
二人きりで過ごしたり、自分たちの周りには山と鹿しかいないと感じることが
ね」スペイン語の表現としてイタリアで使われる「buen retiro」、という言
葉がある。昔王様によって造られたマドリードの公園のように、違うリズムで
暮らせる場所。「街での仕事は緊張感に満ちている。私は患者を私のスタジオ
に招 き入れ、彼らの人生について話す彼らの張り詰めた空気を吸収する。私
のパートナーは、世界中を何年間も旅した後、大企業のコミュニケーションの
責任者として働いているんだ。ウッドストックへ行く時はペースが緩やかにな
って、時間はより伸び縮みするように感じるを。家には暖炉があって、夏用に
スイミングプールもある。外で料理をすることもできる」人は、どのようにして
完璧な「buen retiro」をみつけるのだろうか?「私たちは、素敵なレストラ
ンで食事をしたり展示会に行ったりする楽しみを諦めなくていいような場所
が欲しかった。そしてくつろげる場所にしたかった。画家、俳優、ディレクター
などがウッドストックで暮らしていた。そこには、世界中からの若いアーティ
ストたちに住居を提供する基盤がある。そして、多くのゲイや異人種カップ
ル、そして異なる宗教をもつ人たちが住んでいる。日曜日には人々が集まって
スクウェア・ドラ ム・サークルで音楽を演奏したり踊ったりする」ブライアン
が、森に囲まれ 昔は酪農場だった場所の話をする時、彼の眼は輝いていた。「
最初の頃は、毎週ゲストを招いていたけれど友人にも私たちの熱意が伝染し
ていったんだ。それはまるで波のようだった。ここを訪れた友人たちは、自分
たちも家を買うことを決めた。今ではほとんどゲストを招くことはないよ。な
ぜなら私たちの友人は僕たちの後に続いて皆ここに来たから。デイヴィッドの
弟はここでピザ屋をオープンしたんだ」ここで夜を過ごすのが怖くなることは
ないか?と私はブライアンに聞いた。「ウッドストックの犯罪率はとても低
い。間違いなくニューヨークのどの地域よりも低いよ。本当に危険なのは、腹
をすかせた熊に出くわすことだね。幸いなことに、今のところ僕たちは無事だ
よ」会話が 終わると「時間です、ドクター」と私はブライアンに言い、彼は笑
った。「たまにはそう言われる側になるのもいいね。それに、僕たちの家につ
いて話すのはいつだって楽しい」彼が週末について考えているのが分かる。5
番街から2 時間ほどの古い木の家のことを。「buen retiro」 にはワクワク
しながら、はやる思いで待ちわびるという目的もあるのだ。
JP pp.297
第三千年紀のマグナ・グラエキア
古代ローマ人は、いつもナポリに来てギリシャ人を演じた。賢者、怠惰を助長
し自然からインスピレーションを受ける。実際に私たちを囲むここの自然は、
どこかパワフルだ。ウェルギリウスが「牧歌」を執筆したのはこの場所だ。カ
ルロは、二匹の犬を飼っていて、経営学の学位を持ち、デザイナー兼グラフィ
ックアーティストとして大手ファッションメーカーでの長いキャリアを持つ。
「僕はミラノで10年暮らしそこで働いていた。それは僕にとって重要な経験
だっ た。なぜなら世界最高の洋服や家具のブランドで働くことができたか
ら。そして2008年の危機が起きて僕はここに戻ってきた。幸運なことに僕の
曾祖母が何年も前に古い小屋をアパートに改装していたんだ」カルロの家は、
ニシダ島を背景にして水の上に佇んでいるように見える。
「僕の家は通りに面していなくて、湾の正面を向いている」その家は正確には
ナポリではなくフレグレイ平野にあるが、ナポリと呼ばれている。その地域
は、人類が破壊するためにありとあらゆることをした場所だ。ここには古いバ
ニョーリの製鉄会社イタルシデルの失敗が残されているが、そこは風景的にも
歴史的にもまだ強力だ。ここは、母国から最も離れた場所にあるギリシャの
植民地だったクーマエの近郊だ。クーマエには、考古学的に世界で最も有名
な遺跡の一つである洞窟がある。シビルの洞窟は、アイネイアースが彼の運
命を神に尋ねに行った場所である。「フレグレイ地域は天然資源が豊富な場
所だ。ブルボン家は64もの温泉を造った。このアパートの基礎工事を行って
いた現場の労働者が穴を掘っていると、40度の温泉が表面から湧き出て作
業をストップしなければならなかったんだ。それからローマ時代の金貨が3枚
みつかった。私たちはマグナ・グラエキアの中心にいる。ミセヌムには帝国艦
隊があって繁栄した裕福な地域だった。古代ローマ人はナポリに来て哲学者
などギリシャ人を演じた。そしてその傾向は今でもある程度残っている。ナポ
リでは常。に征服者に降伏してきた。でもわずかに客観的で、自分自身の思
想、自然そして歴史に集中していた。それは新たな侵略者のルールとは異な
るものだ。そしてそれはまた現代においてルールを破るかっこうの言い訳とな
っている」そのような強く迫りくる心象風景を持つ家は、ある意味落とし穴に
なり得る。この家は小世界であり、実際の世界、通り、外へ出かけたい思う誘
惑を弱める。
「全ての家は隠れ家であるべきだと思う。アイディアを再考するための材料
を積み重ねる場所。私は絵を描き、創作し、直感と見解を並べ、私が見たも
の、そして私を関心させたものを。そのような観点でいうと、私の家は完璧
だ。でも同時に危険でもある。ここにいるのが心地よすぎて、時々外に出たく
なくなることがある。僕は二匹の犬と暮らしているから、そのことでバランス
を取れているのかもしれない。なぜなら、犬たちが外に出る必要があるから
私もアクティブにならざるを得ない。犬は、ある意味鏡のようだ。時々犬たち
が元気がない日があって、そういう時は何かしなければと目が覚める。それは
ほとんど自分自身のためではなく、犬たちのために」美を描くために、そして
犬たちを散歩に連れて行くために。リチャージして自然からインスピレーショ
ンを得るために。それはマグナ・グラエキアの第三千年紀だ。
JP pp.325
あなたを歓迎しエネルギーを与える街
ワン・インは、彼の子供時代のことをよく覚えていないと言う。大人になった
ら何になりたかったかも覚えていないですか?と私は聞いた。「はい」と彼は
答えた。「子供は夢を見ること、そして将来の夢を持つことの意味を本当に理
解できないと思います」彼は正しいのかもしれない。40年前の上海で2020
年にはこの街でこんなにビルの建築ラッシュが起こり、街の開発が進み、何千
ものクリエーターたちに仕事を提供しているとは誰が想像しただろうか。ワ
ン・インはインテリアデザイナーだ。彼は自分の仕事がとても好きだと言う。
彼に依頼をしてくるクライアントや提案されたプロジェクトが刺激的であれ
ば。「自分の住んでいる家のことを、年老いた若者のための場所と表現してい
ます。なぜなら、そこには年配が好むような伝統的なものがたくさんあるけれ
ど、年寄りの家の雰囲気を感じさせないから。家具や本がこの家で最も大切
なものです。本、雑誌、絵画が住まいを自分の場所だと感じさせ、空間に活力
と生命力を与える。もちろん、他にも特に生命にあふれたものがあります。通
りで見つけた古い椅子を20元で買ったのですが、今では全然チープに見えま
せん。ぴったりの場所に完璧に収まっている」過去、現在、未来、東、西。私が
インタビューをした上海に住む全ての人々は、この同じテーマに立ち返る。ワ
ン・インはガールフレンドと暮らしている。私は彼に愛とは何かを聞いてみ
た。全人類の最大のミステリーを定義することができるのか。「愛とは相互関
係の問題です。自然体で相手と調和できるかどうかだと思います。そして安ら
げるかどうか。私自身を定義すると、シンプルで、忍耐強く、論理的で、洗練さ
れている」そして彼が住む街、上海をどう定義するかを聞いた。「上海 は他の
国際的な街とは異なります。中国の基準では上海はとても国際的だけれど、
世界の基準ではとてもドメスティックです。言い換えると、二つの文化( 西洋
と中国)が上海には深く根付いている。この街は昔からそうで、これからもそ
のままだと思います。そしてその個性は未来へと続いていくでしょう」この街
はシンプルだけれど洗練されたパーソナリティに適するのだろうか?「はい、
私はとても好きです。心地いいし、古いもの新しいものどちらも両立してい
る、それに魅力的で、新鮮でエネルギッシュです。上海では、たくさんの イベ
ントや新しい場所が常にオープンしています。そしてそれが人々を魅了し続け
るのだと思います。私は街へ出て、探検し、新しい開発を観察している時に、
その物や出来事の過去について発見していることに少しずつ気づくのです」過
去は過ぎ去るものではない、とフォークナーは言った。なぜなら、過去は私た
ちの一部であるから。それは私たちが継承する世界、事実上の現在 にその役
割を担っている。過去はもはや存在しないものの幻想を示すのだが、なんら
かの形で私たちの人生、私たちの顔、私たちが暮らす建物に反映される。それ
は、フォークナーの時代のアメリカでは真実だった。そしてそれは完全なる変
革の中にあり、しっかりと未来を見据える上海で今でも真実だ。
JP pp.355
毎晩、街全体をゲストに迎える方法
オリヤは、笑顔で私を彼女のアパートに迎え入れてくれた。彼女は美しく、魅
力的で、本質的なエレガントさを身に着けている、ファッション雑誌ならその
ように表現するだろうと想像する。この大きなキッチンには全ての物が必要
不可欠だ。壁に大きく「より少ないものは、より豊か」と刻まれているかのよ
う だ。おそらくこの教訓はオリヤの生活の上でのルールなのだろう。洋服、イ
ンテリア、食べ物、会話、買い物、取り乱すこと、全てにおいて。オリヤのパー
トナーは背が高く、髪は短い。遅めの朝食を済ませて、ブラックコーヒーを淹
れ出かけていく。その家はごく普通に見えるが、そうではない。あるいは、住
宅地ではないニューヨークのマンハッタン、チェルシーではこれが一般的な家
なのかもしれない。キッチンの先に広々としたスペースがあり、それはごく普
通に見えるが、普通とは言えない通りに面している。そこが通りになる前は、
マンハッタンを交差する高架鉄道だった。現在は世界中で有名な公園にな
り、ニューヨークへ来たら必ず訪れるべき名所となっている。1930年代 の鉄
道建築の跡地が街を横切る遊歩道となっている。名前は、ハイレーン・パー
ク。ここがオルヤのリビングルームのすぐ前を横切る形となっている。「2万5
千人の人たちが毎日ここを通るの。ここを購入した理由はそれよ。街にオープ
ンでいられるという感覚。これは、終わりのない展示会。朝起きてコーヒーを
淹れそこで朝食を食べる。私の方を見ながら通り過ぎる人の前で。通りから届
くエネルギーが私を心地いい気分にさせてくれる」カーテンは、私の故郷であ
る南ヨーロッパでの国ではどの家にも必ず必要なものであると考えられてい
る。例え、みんなが知り合い同士である街でも。あるいは、そのような街では
とりわけ家は孤立した存在であることが重要である。カーテンは、嫉妬の目、
悪霊、そして噂話から守る壁のような役割がある。家の中で起きていること
は、隠す必要がある。それは外部の人の好奇の目にさらされるべきではない。
「Genti allena」 と私たちの言葉で私の祖母が言っていた。家族以外の人
を指す言葉だ。そのような人は、招き入れられない限りは家の中を見るべき
ではない。こちらが来客の準備をしていない限り。一方で、オリヤは壁を壊し
た。カーテンを開け、バリアを取り除き、家の一部が常にパフォーマンスのよ
うな状態で暮らすことを選んだ。彼女は、他人の目が彼女の家の一角、そして
人生を常に注がれるというコンセプトを受け入れた。「それはまるでこの街の
ショーの一部になったよう」と彼女は言った。「これはインタラクティブな生
活スタイル。私と私のパートナーは、このエキシビションのスペースを友達に
提供することにしたの。テーマを決めたディナーを開催すると皆楽しんでくれ
る。私たちのパーティーでは皆少しクレイジーになるの。ある時はリビングル
ームの壁をスクリーンにして、私たちが大好きな若いアーティストたちの作品
を映しだしたりする。通り過ぎる人たちは写真を撮ったり、まるで自分たちも
ゲストであるかのようにいつまでも私たちを眺めている。そしてこの家がまる
でこの街のショーの一部であるかのように」オリヤは25年前にニューヨーク
へやってきた。そして彼女は自分をニューヨーカーであると感じている。ドキ
ュメンタリー映画のディレクターである彼女の未来がどのようなものであって
も、ニューヨークシティが彼女の戻る場所であることを知っている。「この家、
そしてこのリビングルームは、まるで街のエコシステムになったよう。そして私
にたくさんのアート、美、そしてエネルギーをくれたこのコミュニティに対して
ようやく何かを提供できると感じている。この家の前にたくさんのアパートを
見てきた。いくつかは偉大な建築家によってデザインされたものだったけれ
ど、これを提供できる家は一軒もなかった。他の建物はただの美しい家だった
けれど、この家はユニークで過ぎていく毎日でパフォーマンスができる」誰も
が参加できる。チェルシーマーケットの上にあるハイレーン・パークへ行き、
Texts by Flavio Soriga
Japanese
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