Foscarini — Vite
Translations
だろう。「僕が暮らす地域はとても美しい。オールド上海の建物に施された。
ディテールは素晴らしいから。それに職場まで歩いて行けるロケーションもす
ごく便利です」ナン・ランの家には温かい光があり、少し隠れ家のような雰囲
気がある。たくさんある物の中で、彼にとって一番大切なものがある。「これ
は、祖父母の婚姻証明書です。額装して家に飾っているんです。とても多くの
意味を持つもので私のストーリーの一部でもあるので、私にとって素晴らしい
ものなのです」私たち一人ひとりのストーリーは遠くから始まっている。それ
は祖父母そして両親の代からずっと同じ町で育った人も同じだ。上海では何
百万ものストーリーがどこか他の場所で始まって交差し、この都会の宇宙に
向かって集まっている。そしてそれは物の線、色、そしてマテリアルに影響を
与え、家具や衣服へと形作られる。ナン・ランは子供の頃からずっと絵を描く
ことが大好きだった。そして今は自身のファッションブランドを持っている。
彼の仕事はたくさんの職業で成り立っているという。「僕はインテリアデ ザイ
ンが大好きです。皆にくつろいでもらえる空間が好きなんです。そしてグ ラフ
ィックデザイン、ファッション、イラストなども手掛けます。仕事は多岐にわた
りますが、自分の仕事がとても好きだし自分の人生にも満足しています」常に
再設計され続ける街のデザイナー。「上海にはパフォーマンス、展示会、ギャ
ラリーなどカルチャーライフが密集しています。今ではこの街はとても包括的
です。ここは東洋と西洋が出会い、昔と現代が共存する街です。オールド上海
はとても素晴らしい。そして上海の未来は予測不可能です」遠い過去を内に
秘めたモダンな街。ちょうど、ナン・ランのように。
JP pp.125
ガラス張りの、これからもストーリーが続く家
私と同じサルディーニャ人の友人がニューヨークに10年暮らしている。彼女の
夫のエイブラムはジャズミュージシャンでブルックリン出身のロシア系移民2
世だ。彼らに連れられ、Fanelli’sにディナーに行く。初めて訪れたのに、ずっ
と昔から知っていたような場所だ。客、バーテンダー、ウェイター、みんなが
挨拶をしたりハグをしあう。テレビではサッカーの試合が放映されている。友
人に彼はサッカーファンなのかと聞いてみる。「ブルックリンで育って、サッカ
ーとジャズが好きだった。妻は、皆サッカーが好きだと思っている。イタリア
ではそうかもしれないけど、アメリカではサッカー好きだと変わっていると思
われるよ。子供の頃は、サッカー観戦をしてジャズを聴いているのは変人だっ
た」世の中は似たり寄ったりになっている。イメージ、ビデオ、音が過剰で、旅
行はもはや昔のように冒険ではなくなってしまった。でも、いまでもそれは変
わった経験ではあるけれど。みんな訪れる前になんとなく知っていると思って
いるニューヨークでさえ、知っていると思っていたことが違っていたと発見す
る。ちょうどサッカーのように。ディナーの後に会いに行くことになっていた
ミュージシャン仲間の家の住人には一度も会ったことはないけれど、既に彼
を知っているような気になっていた。なぜなら、彼は私と同じ海辺の町の出身
だったから。彼のゆっくりした話し方、年を取らない若者のような顔、彼の温
厚な笑顔を知っている。贔屓のサッカーチームについて何時間も話すことが
出来るけど、今夜は話さない。
なぜなら二人は同胞だけれど、世界の反対側にいてそれぞれの家に敬意示し
ニューヨークで出会い、このガラスの家の50階にいるから。「正しい方向を見
れば夜でも自由の女神が見える。」私は見ようとしてみたが、見えなかった。
マンハッタンの高層ビル、ウィリアムズバーグ橋、イーストリバーが見えた。「
家のことを話すには、妻のフルールを待たなくちゃ」とカルロは言った。「彼
女が決定権を持っていて、私はそれに従うんだ」カルロは、長い間ロンドンで
働いていた。そしてサルディーニャ人の友人が彼のレストランを経営するため
にここへ来ないかと誘った。「一度見においで。誇張するつもりはないけど、こ
の街はとても地中海風なんだ、と彼は言った」そして、ロンドンから来てみる
とそれはある意味本当だ。晴れ渡った空、その光、周りを取り囲む水。私はカ
リアリの海が見える家で育ったのだけど、そこを去るまでそれがどんなに
貴重なことか気づかなかった」カルロの妻はフランス人で国連で働いていて、
世界中を旅している。「彼女はあの世界地図をどうしても欲しがったんだ。見
えるかい?この壁にぴったりのものを見つけるまで探し続けた。でも、この家
を選んだのは僕だ。彼女はもっと古い家を好むタイプなんだ。古い赤レンガ、
古い非常階段、古い窓。娘がお腹にいる時、僕は思ったんだ。エレベーターも
ない3階建ての狭い階段のアパートはどうしても嫌だと。たくさんの物件をみ
たよ。ほとんどは最悪だった。そしてある日この新築の物件に出会った。僕は
興奮したよ。三方向に景色が見えて、たっぷりの日差しがある家。僕 たちがこ
この最初の住人になるんだと思ったよ。このアパートの歴史の第一章になるん
だって」カルロが話す間、生後六か月のルルは言葉にならない言葉を発してお
しゃべりしている。彼女の母親が来ても、話続けていた。娘さんをここで育て
たいですか?と私は聞いてみた。「ここには10年いるわ」とフル ールは言っ
た。「仕事の都合でどこかへ越さなくちゃならないかもしれないけど、ニュー
ヨークとはこれからもつながりを持ち続けると思うし、友達もここにいる。セ
ネガル、マダガスカル、メキシコ、デンマークに住んだこともある。そして未来
はどうなるかなんて誰にも分からない」ルルは父親に抱っこされてほどんど沈
黙せずに注意深く話を聞いている。「とりあえずの間は、娘にバルコニーから
の日の出や夕日を見せるよ」とカルロは言った。「月並みな言い方だけど、毎
日光の具合が少しずつ違うんだよ」地中海ではないけれど、ここには独自の
魅力がある。
JP pp.145
海賊、職人あるいはロックスターのように
最近あなたが買ったものは、デイヴィッドが務める会社の貨物用コンテナで
海を渡って旅をしてきたものである可能性が高い。「世界のコンテナ貨物の
20%がうちの会社の船で運ばれています」と、ストライプのシャツとビジネス
スーツに身を包んだ、コペンハーゲン出身の多忙な紳士が言った。彼にはラン
チを食べる時間もわずかしかないし、実際彼はランチブレイクをとらないとい
った様子だ。現代の航海は、海賊やベネチアの探検家そして征服者ヴァイキ
ングの時代とは全く異なる。今は船で旅をするのはコンテナに詰め込まれた
物品がほとんどだ。「コンピューター、本、衣類。弊社はなんでも輸送します。
我が社は600隻以上ものコンテナ船を所有し、27,000人の従業員が世界中
にいます」とデイヴィッドは言った。「このテーブルもおそらく私たちと旅をし
てきたのでしょう」それは、とても美しいテーブルだ。変わった形のおうとつ
のある厚い古木でできていて、穴や傷がある。この木の一生から幾千ものス
トーリーが想像できる。「このテーブルは南米の港から来たものです。板は船
着き場にあったもので、半分海に沈んでいました。そして誰かが拾ってこの素
晴らしいテーブルを作ったんです」なぜこの地域に暮らすことを選んだのです
か?私はデイヴィッドに聞いてみた。彼は驚いたように微笑んで、物静かに困
惑したような表情をみせた。なぜならここはこの街で最高の地域だから、と
彼は言った。「アパートはとても美しいし、私の好きなスタイルだし、湖はある
し、小さくて素敵な通りもある、エレガントなショップもある。僕はここが好
きなんです。僕たちはこの家に満足しているけれど、植物がある土地が必要な
年代に差し掛かっているから、庭付きの家に引っ越したいと思っています」デ
イヴィッドの妻はシェフだ。シェフは現代では真のスターで、アーティストの
域に達した職人である。「彼女は1000人規模の大きなイベントを企画する会
社で働いています。実際、彼らはロックスターのようです。仕事に多くのの創
造力をつぎ込んでいます」あなたはコペンハーゲン出身で、今もそこに住んで
いる、と私はデイヴィッドに言った。ずっとここに住んでいたんですか?
「いいえ、僕はフランスに留学していました。ワインが最高だった。それ以外
は、ここでの暮らしが気に入っています。仕事も好きだし、職場に15か国もの
国籍の違う同僚がいることも好きです。デンマーク人しかいない普通の職場
だったら、退屈すると思います」子供達をここで育てる予定かと聞いてみた。
「いつか海外へ移る可能性もあります。おそらくインドとか。インドでの生活
はより困難かもしれないけれど、より多様でよりカラフルです。コントラストに
あふれたとても魅力的な場所です。ここでは、社会的地位が皆似通っている。
だからコントラストにとても惹かれるんです。それに、もちろんインド料理も
好きだしね」
JP pp.175
光は目をくらませ、街はあなたを飲み込む
アルノは、ナポリに住むフランス人の画家で、二人の娘と美しい家に暮らして
いる。よく笑う男だ。彼は私を家に招待してくれ、私が何をしに来たのか興味
津々だった。「家について、そして人生について語る」私は彼が考えていること
を想像してみた「そんなことを一体どうやるんだ?」実際、そんなことは無理
か もしれない。でも彼は色を使って街を語ろうとしている。そしてそれも簡単
なことではないだろう。アルノが初めてナポリに来た時、何が起きたか分か
る。なぜなら、それは25年前に私にも起きたことだから。ナポリに着いたと
たん、ドカン!驚きと疑念と愚かさと愛がまるで爆発したようだ。
なぜなら、誰かがナポリについて何千もの方法で事前に説明しようとしたか
もしれないけれど、この街に対する心構えをするのは無理だ。そこで見るも
の、例えば労働者階級が暮らす地域。人、叫び声、歌声、バルコニーとバルコ
ニーで交わされる会話。「ここで最初の3ヶ月を過ごした後にパリに戻り、僕
が描いた絵をみた友人たちがと口をそろえて言った。ベスビオの街に行った
のに一度も描いていないじゃないか」問題は、ナポリに行くとナポリにとどま
ってあたりを見回す。通りや人の顔、裏通りやバルコニーを観察するのに何日
も費やしてしまう。ポストカードにあるような景色や風景を探したりはしな
い。「パリを発ったときは4月初旬だった。季節はまだ冬であの青い光を見つ
けた。パリでは、冬の間中空が白く薄暗い。ここでは、光がそこら中にあって
あなたの気持ちをそらし、混乱させ、捉えてしまうことがある」その光は目を
くらませ、街はあなたを飲み込んでしまう。
実は、いまアルノは歴史の中心のカオスから逃れて島や湾、海、そしてベスビ
オが見渡せる地域に暮らしている。彼がナポリに来た時、友達がパーティー
に連れて行き、そこで今の妻となる女性と出会った。「彼女は弁護士なんだ。
無実の人を弁護する。そして僕は彼女にとってのアーティスト面だと彼女は言
う」この家では静けさがある。絵を描くために、アルノはキャンバスが密集し
た太陽の光が全く入らない小さな部屋に行く。「ナポリ特有の冬がある。ラフ
ァエル・ラ・カプリアがこう語っている。家から日の光を遮断することは不可
能だ。ナポリでは、素晴らしい天気というコンセプトは存在しない。私たちは
東に向かっているから、太陽が昇るとすぐにその日が素晴らしい天気になると
いうことが分かる。家の中に閉じこもっていることはできず、外に吸い出され
る。だから、季節が変わり少し日が短くなると、自分自身に集中できるように
なる。そうなると、少し分別がつき外に出る回数が減る。そして夜が長くな
り、写真の勉強をする時間ができる。 そして題材を探す。時には題材をずっ
と見ているのに光が正しくないせいでそれに気づかない時がある」いつかは
ちょうどいい光が現れる。自分の街ではなかった場所が自分の街になる。そし
て決して自分の街にはならないけれど、既に自分の場所である。「自分はとて
も地中海的だと感じる」とアルノは私に言った。それはおそらく、ちょうどい
い光を探していて、これからもずっと探し続けるだろうという意味だろう。
JP pp.205
特別であることの素晴らしさと疲労
「私には特別なことだと感じられないの」とルチアは言った。「なぜならどこ
か他の場所に暮らすことがどんなことが知らないから。私にとってこれが生
活だし、私の子供たちにとってもそう。小学生の時から一人で学校に通っ
て、交通事故にあわないかと親を心配させることなく、通りや小さな広場を
歩き回ることができる。私にとって街の形はこれしかありえない。ラグーンの
小さなスペース、運河や橋」ルチアはベネチアがどのくらい変わってしまった
かを知っている。そして、事実この街が創設されてから変化している。この街
の組織や統治の規模は何度も変化している。この街は成長し、常に野外の実
験室であり工場である。しかし、過去数十年の間で新しい変化があった。住民
の数が減少し、日帰りの旅行者が急激に増加した。「以前は全く観光客がい
ない月があったけれど、今ではそうじゃない。地元の店は閉店し、くだらない
みやげ物屋が代わりにできた。観光客に、いらっしゃい、このがらくたはいか
が?安いよ!と叫んでいるみたいに聞こえる。それはつらいことよ。なぜなら
私たちのゲストに対する敬意がないように思えるから」
その名前を挙げたらきりがないほどたくさんのアーティストがこの街を訪れ
た。そしてその多くが旅のメモや記述そしてストーリーを残していった。「今
では、ベネチアに訪れた人は冷蔵庫に貼るマグネットを買って帰る。昔の旅行
者はとてもモチベーションが高く、違う国を発見することに興味津々だった。
今は20ユーロのチケットを買うことが楽しみで旅行しているように思える。
頭の中にある「行ってみたい場所リスト」を消していくために。この街は物価
が高いだけじゃなく、とても不便。リドに住んでいてメストレに行きたいと思っ
たら長い旅になる。ここは停止した街なの。時々、自分がパンダかなにかみた
いに感じる。普通の街に行くと、その混乱に憧れるし車にスリルを感じるけれ
ど、夜になるとくたくたに疲れる。そして静けさにもどるのが待ちきれなくな
る。この家はアカデミアやグッゲンハイム、プンタ・デラ・ドガーナ などの近
所で芸術の地域にある。夜には素敵な静けさがあり、聞こえるのはボートが
通り過ぎる音だけ」ルチアの夫は建築家で、家の改築の監督を務めた。窓やテ
ラスからはベネチアの夢や運河、屋上やセントマルコの尖塔が見渡せる。
「私の夫は、大手ファッションブランドと仕事をしていて、この街での店舗の
オープンを手伝っているの。ミラノ、パリ、あるいはサンフランシスコの建築家
では、ここの全ての規定を把握できないし満潮時の浸水の対応の仕方も分か
らない」特別であるということのテーマに再び戻ろう。他と違うということ。
誰も一生経験することがないであろう生き方を知っているということ。
「ベネチア人が本当に特別かどうかは分からないけど、間違いなく他とは違う
し、その特性は些細な事に高い代償を払うことになる。特に子供がいたら。子
供達が小さい時は、メストレにディナーに行くとローマ広場からの帰り道はと
ても大変だった。子供達をショッピングカートに乗せて通りを押して家まで歩
いたあと、抱っこして4階まで階段を上らなくちゃならない」特別であるという
ことは、時にくたびれるものだ。
JP pp.233
常にまとめられた荷物を持つ世界のヴァイキング
「僕はビーチと暑い気候が好きなんだ」フレデリックは、まるで旅をし続ける
ヴァイキングのような外見をしている。彼は外交官の息子で、家族と東南アジ
アで暮らしそのあとドイツでも暮らした。そして大人になってからも放浪を続
けた。香港、ウルグアイ、アルゼンチン、ホンジュラス、オーストラリア。「世界
の国々にはどんなものがあるのかを発見する必要性をいつも感じていたん
だ」そして、本当にたくさんのものがある。食べ物、飲み物、音楽、文化。その
全てのものがフレデリックにとって大事であるということが彼のアパートの玄
関に入れば分かる。たくさんのはきつぶされたコンバースが、幾度もの出発と
帰宅を物語っている。フレデリックと彼のメキシコ系アメリカ人の婚約者は、
つい最近双子を授かった。子供達の名前は、キオコ・ボウイとシエナ・インデ
ィゴ。おそらくこれらの名前がフレデリックと彼のパートナーあるいは二人を
よく表ボウイからとったもので、自分が望む通りの人間になれる力を与えたい
という願いからそう名付けた。シエナとインディゴは色の名前で、僕が大好き
Texts by Flavio Soriga
Japanese
517