Foscarini — Vite
Translations
tomber amoureuse d’une ville, c’est ce qu’a fait Anthia.
« À Hong Kong je travaillais pour la BBC World. Cela me
manque un peu bien sûr de vivre dans le monde de
l’information, immergée comme je l’étais dans le flux de
l’actualité. Prendre ma retraite a représenté un gros
changement. Mais je ressens beaucoup l’énergie de la Chine,
de son évolution. Shanghai change tous les jours, il y a plein
de projets, des immeubles historiques en cours de
rénovation. La jeune génération fait des études, voyage.
Les jeunes partent étudier dans le monde entier. Je pense
qu’à l’avenir il y aura encore plus d’Européens à venir vivre
à Shanghai ». Peut-être pas tous par amour d’une personne
rencontrée vingt-cinq ans plus tôt, parce que les contes de
fées deviennent rarement réalité, mais peut-être par amour
de la ville, à la fois ancienne et projetée vers l’avenir.
JP pp.002
美は至るところに存在する
私たちがその素晴らしさを見ようとさえすれば
私たちがその素晴らしさを見ようとさえすれば ストーリーを語る時、聞き手
をとらえる秘訣があります。それは心からの言葉で語るということです。事実
や人物や物について述べる前に、ストーリーが自身の内面に生み出す感情に
耳を傾ける必要があります。このプロセスが、語り手と聞き手双方の心をとら
えるのです。なぜなら、どのような立場にあっても、私たち人間にとって、人間
関係や感情が生きる糧であるからです。ブランドもそのようにしてストーリー
を語ることは可能でしょうか?それは簡単なことではありません。ストーリー
の語り手が異なる視点から語ることに対して、ある程度のコントロールを失う
ことを意味するからです。そして、それはまさに Foscarini の 「VITE (人
生)」プロジェクトで私たちが試みたことです。アーティスト・フォトグラファ
ーの ジャンルカ・ヴァサロ氏と作家のフラビオ・ソリガ氏には、自身の目線そ
して言葉を通じて自由に表現してもらい、実際に個人的な環境で自由に歩き
まわってもらいました。このプロジェクトは、人生の一部であるはずの不完全
さを全て排除してしまう、デザイン企業の典型的なコミュニケーション方法か
ら、大きく脱却したプロジェクトです。Foscariniでは、独自の視点からグロ
ーバルデザインを反映するために作成した『Inventario』という雑誌で、カ
ルチャーのためのスペースを作りました。また、「ヒーロー達」をフィーチャー
したデザインを用いてビジュアルでストーリーを語るプロジェクト
『Ritratti』 では、弊社の照明を登場人物に仕立てました。そして、弊社の
成功の鍵である職人たちの才能にスポットを当てた、特別な写真と本のプロ
ジェクト『Maestrie』 では、Foscarini の照明を作る職人たちのスキルに
ついて語っています。そして今回 『VITE』 では、様々な視 点から世界を観
察し、パーソナルな空間で人々が語るストーリーを通して、光について表現し
ていきます。『VITE』 は東西南北の街々、そして実際の人々の実際の生活に
私たちを誘う旅です。このプロジェクトにご協力いただいた皆様には心より感
謝申し上げます。ご自宅を開放してくださっただけでなく、ご自身の人生をオ
ープンに語ってくださいました。私たちは恐る恐る皆さんのプライベート空間
に入り、しっくりくると感じた場所に弊社の照明を配置させていただきまし
た。それらの照明はまるでその性質と取り付けられた空間を変えてしまったか
のように「日常」の一部となっていました。『VITE』 は、背景、体験そして思
い出を捉えるレンズであり微小なものを眺め続ける視線です。そしてそれは、
もし私たちがその素晴らしさを見ようとさえすれば、美は至るところに存在す
るということに気づかせてくれるのです。
Carlo Urbinati
カルロ・ウルビナティ
Foscarini 創業者・社長
JP pp.007
それぞれの家庭の明かり
それぞれの家庭には、人生がありストーリーがあり人間がいる。作家が思い
描く家では、実在しない登場人物が世界の通りを散策することもなく日々を
過ごす。彼らは闘うこともなく、滅びることもなく、そして勝利することもな
い。これらの登場人物たちは不眠症の人がみる夢であり、目覚める時に垣間
見た顔や身体だ。そして白紙だったページの前で何日も、何週間も、そして何
ヶ月も費やして寄せ集められたものだ。出来ることなら、毎日それぞれの家庭
を訪問するべきだと思う。質問をしたり、ドアをノックしてどうしているか尋ね
てみる。その家の住人の目を忘れないよう見つめて、その皺を数え、その輝く
目、仕事を終えくたびれたシャツ、擦り切れたジーンズ、パーティーのために
用意された新しいドレスを見る。「それぞれの家庭に上がりこむんだ」と若者
向けの本を何冊も出版した作家は言う。「ネパール、ニューヨークあるいはベ
ネチアの通りを、靴を履きつぶして歩き回ることなく、現実の世界を知らずし
て自分の頭の中で世界を創ることが出来るなどと思わない方がいい。歩き回
り、人と話し、そして耳を傾け、会話をし、好奇心を持ち、常に旅に出られる準
備をすべきなんだ」閉ざされたドアを越え、セントラルパークを見渡す窓の向
こう側、ナポリ大聖堂の隣の家の3階、ベネチアの教会に面したバルコニー。
それぞれの家庭には、ようやくこの世に生を受けた待望の息子のために、ミル
クを温める父親がいる。昔の恋人からのラブレターを読み返す美しい女性、
二人の秘密の恋人たち、退職前の最後の講義の準備をする教師がいる。それ
ぞれの家庭のドアの向こう側には、人々が生きそして亡くなり、引っ越しや旅
行を計画し、別離や新たな始まりを経験する。あるいは非難を浴びせ合った
り、許しを請いそして愛を誓いあう。私は作家だ。光は私が生きてきた日々や
声を思い起こさせる。人通りの多い道を歩く午後、あるいは夜遅くに人気のな
い通りでそれぞれの家庭の窓から輝く明かりは、ドアをノックして招き入れて
欲しいと頼み、調子はどうかと尋ねることも、問題はないかと尋ねることも出
来ないと知っている私を苦しめるものだった。何のための明かりなのかと尋ね
てみたい。誰かが休息をとっている明かり、それともお祝いの準備をしている
のだろうか?暇を持て余した夫がつけた明かり、あるいは遠くへ旅立つ準備を
している息子の部屋の明かりだろうか?こんなに素晴らしい仕事は他にない
だろう。世界中の様々な街へ行き、私を歓迎してくれるそれぞれの家庭のドア
をノックする。そして私の質問に答えてくれる。「私の名前はオリヤ。ロシア生
まれだけど、ニューヨークにはもう長いこと住んでいるからここが私の故郷
よ。ハイラインの遊歩道を望むこの家を購入して、カーテンを取り払ったの。
たくさんのものを私に与えてくれたこの街に対してパフォーマンスを提供でき
るように」現金あるいは30年ローンで購入した、ごく普通の家に住む実在の
人々の真実の物語を書く。そして、ついさっきまでは他人だった男性あるいは
女性と顔を合わせその人について書く。それがFoscariniのためにした仕事
だ。彼らの家の明かりについては、ジャンルカ・ヴァサロがナレーションをし
た。彼は、私と同じく島の出身で、海 の向こう側にある全ての物を見てみたい
と望み、世界中の膨大な都市を、靴を履きつぶして歩き回りたいと望む不治
の病を抱えている。光を言葉で伝えることはできないが、人生を伝えることは
できる。そしてこれが私に与えられた仕事である。人生は言葉より強力である
ことを知りつつ、でもそれが私たちに残されたこと。人生を無駄にせず、そし
て最終的にはシンプルに言葉と物語で可能な限り語ること。もし、実在する誰
かがその物語を読みたいと思ったときのために。
JP pp.045
街全体が僕の家
ベネチアに住む誰もが広々とした家で育つという幸運に恵まれるわけではな
い。でもパオロは、幼少期から青年になるまでサン・ニコラ・ダ・トレンティー
ノ教会の向かいの建物の一階にある美しい家で育った。「真正面だったよ」現
在彼が妻と二人の子供と暮らすアパートの、運河と彼が育った家が見渡せる
テラスから言った。「イサと僕が21年前に結婚した時、ここからそう遠くない
場所にある、素敵だけど僕にとっては少し狭い家を買ったんだ。でも僕はずっ
とこのアパートに目をつけていた。たぶん、実家から見えるこの家をいつか買
って改装して住むんだとずっと考えていたんだと思う」そのような特別な場所
にある家を改装することは非常に困難で愚かとも言える試みかもしれない。
「その家は、元は公的機関が所有していたもので、それまで改装や売りに出
されたことがなかったために20年間ほど閉鎖されていた。そしてその家が競
売にかけられた時、入札したのは僕だけだった。妻には反対されたけどね。そ
して僕が落札したんだ。前の所有者は法律を無視した改装をしていて、観光
客に貸すために小さな複数の部屋とバスルームを作りその家は廃墟になって
いた。銀行の書類に実際に “廃墟”と書かれていたよ」イサとパオロの家は光
であふれていた。建物は、独自の色、フレスコ画、壁や天井の装飾を取り戻し
て復旧された。「復旧のエキスパートや各部分の専門家に依頼し、文化遺産
機関の指示に従って行われる長期間にわたる根気がいる作業だった」パオロ
は、毎日車で本土に通勤をしているが、他の場所に越したいと思ったことはな
いそうだ。「どこへ行っても、ベネチアに戻ると我が家にいるんだという感覚
を覚える。この街にいると、どの場所にいても故郷にいると感じる。ベネチア
は問題の多い街だし、観光業界が住民を本土へ移動させようとしているせい
で、街ではなくなってしまうリスクもある。街とはビルや広場だけで成り立って
いるわけではなく、そこに住む人々や住民たち、彼らの話し方、彼らの暮らし、
出会いや人間関係などで作られる。観光業に反対しているわけではないし、
ベネチア人は自分たちの場所や行きつけがあるけれど、店が全て同じになっ
ていくのをみるのはつらい。ベネチアは小さいけれど、国際的なコミュニティ
で、世界中からの学生、研究者、アーティスト、外国人たちが住んでいる。こ
の街は世界中からの人が集まるところで、みんなが見張っているような田舎町
とは違う。ここではどんな服装をしても誰も気にしない」ベネチアは魚であ
る、と作家のティツァーノ・スカルパは書いている。そこに住む人たちが水の
勢いの原動力となり、ラグーンと皆の夢の中を輝かせ煌めきを与える。パオロ
やイサのように古い家を改装して新たな命を吹き込む冒険者がいるかぎり。
JP pp.065
私はイオニアの風に運ばれた小さなオリーブの木だった
「サルディーニャ人は信心深いわよね」とマリアは言った。私たちは、エレガン
トで整然としたナポリの閑静な一角を歩いていたのだが、私は立ち止まって彼
女を見て頭を振った。「いいや、頼むよ。サルディーニャ人なんてものは存在し
ない」と私は言った。ナポリ人と同じようにサルディーニャ人と言っても皆違
う。ナポリに行ったことがない人だけが、ナポリ人はみんな同じだと思ってい
る。ユニークな個性を持ち、ユニークな暮らし方をしているナポリ人も存在す
る。この街は、二つや三つの特徴だけで語るには広大すぎる。そしてマリアは
そのことをよく知っている。マリアは地中海人であり、ナポリ人であり、そして
わずかにノルマン人の血も受け継ぐ。おそらく、完全にポストモダンである。
「私は、イオニアの風に運ばれて根付いた小さなオリーブの木だったの」と、
エルサ・モランテの引用を用いて彼女は言った。オリーブの木は、ギリシャと
サルディーニャ、北アフリカそしてスペインを意味する。つまり私たちは似た
者同士だ。マリアはアパートを借りているが、それは完全に彼女の家となって
いる。百通りもの人生を集約した家。なぜなら私たちは一人として完全に一人
きりではないから。特に白髪が生えるころになると。「オリーブの木は」とマリ
アは続けた。「地中海全体を表す植物なの。オリーブの木が青々と茂るパンテ
レリア島の海岸があって、小さく、ゴツゴツとして、枝が下に伸びて涼しい木
陰を作る」オリーブの木は、サルディーニャ人やナポリ人と同じようにたくさん
のことを意味する。「私は48歳になったのだけど、白髪をそのままにしようと
決めたの。過ぎ去った人生の証をみせるべきだと思わない?」マリアの家は器
や絵画、そして古いフランドル人形、アートそして光であふれている。「あれは
10年前の5月のことだった。この家に一歩足を踏み入れたとたん、ここは私の
家だわと言ったの。ここは私の家。温かみがあって居心地の良いこの家は、黄
色い火山石で作られている。熱く強烈な太陽の色。ここに越してきてからわず
か二日後にディナーパーティを開いたの。まだ照明も家具もなくて段ボールが
積みあがっていたのだけど、友達を招待したいと思ったの」マリアは、大学の
教授であり美術評論家で、アートと美に満ちた人生を送っている。「最初の夕
食会の時は、展示会のオープニングの後に急いで用意をしたの。それはまるで
家に語り掛けているようだった。まだ足りないものがたくさんあるけど、あな
たをこんなに心地よくすることができるとね。みんながここでくつろげるため
にするべきことがたくさんあった」ここは仕事場であり、マリアの家であり、ア
ーティストや評論家仲間そして知らない者同士が集まる場所。「時々、家探し
をすることがあるけど、探し始めた途端に後悔するし、飽きてしまう。結局の
ところ、私は不動産そのものに興味があるわけじゃなく、私の場所だと感じら
れるもの、そう感じられる場所、そして訪れた人だれもがくつろげる場所が好
きなの」外に出ればナポリの街がある。少し頭がいかれたマンダリン奏者や
ピザを崇拝する人、モッツアレラそしてマカロニというイメージの街。でもマリ
アがランチに作ってくれたのは、黒米と蒸した野菜の料理だ。そして小さなテ
ラスで日を浴びながら食べた。「ナポリの家でアウトドアのスペースがないな
んて考えられない。外への延長、この街という劇場に景色の一部として自分が
さらされる場所。テラスでは完全に人目にさらされてこの動き続ける街という
劇場の背景となり、外、そしてプライバシーではなくパフォーマンスに入り込
む」この街は劇場であり、美術館であり、遊び場であり、破壊的な場所。何 万
通りのものであり、何万もの住民が、ステージの上で、それぞれが自分の劇場
で寄り集まって暮らしている。そしてマリアは微笑みながらテラスの上から街
を眺める。まるで、それぞれがそれぞれの方法でルーツを持つことを受け入れ
ていることを知っている、ポストモダンのオリーブの木のように。
JP pp.097
東と西が出会い、
未来が予測不可能な街
上海はただの単純な街ではない(もし単純な街というものがそもそも存在す
るなら)。上海は想像を超える街だ。一国家と同じくらいの規模そして複雑性
を持ち、人口は約3000万人で世界第二位だ。そして上海には素晴らしい歴史
があり、その痕跡をたどっている。この街の巨大さは自らを小さく感じさせ、
そのエネルギーに高揚させられる。ナン・ランは物静かで控えめな男性で、街
のエネルギーを内面に秘めているように見える。そして、彼の身振りや言葉、
そしておそらく思考における静かな自信に変換しているようだ。彼はデザイナ
ーになるために上海にやってきた。そしてそれが今の彼の職業だ。彼の家には
物がたくさんあるが、散らかっているようには見えない。たぶん、このように
巨大で混沌とし常に変化する街で暮らすには、できる限り全てをコントロール
下にある状態にする必要があるのかもしれない。ナン・ランはデザイナーで、
大昔の人間を内に秘めた現代人だと自らを表現する。彼は、最近彼が道で拾
った子犬のように内気だ。「でもぼくの猫はおしゃべりなんだ」と彼は微笑み
ながら言う。もし、内面は古風であると感じている現代に生きる建築家にとっ
て暮らしやすい場所があるとするなら、それは上海の古いフレンチクオーター
Texts by Flavio Soriga
Japanese
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